ブログ移転のお知らせ

 いつも読んでくださっている皆さま、ありがとうございます。
このたび、これまで更新してきた「はてなブログ」から、新しいサイトへ引っ越しをすることにしました。

 

 これまでの記事を読んでくださった方、本当に感謝しています。

 

 今回の移転は、少し大げさに言えば「家の建て替え」のようなものです。
これまでのブログも十分住み心地は良かったのですが、家具を増やしたり、間取りを変えたりするうちに、もう少し広い場所で自由に模様替えをしてみたくなりました。
そんな思いから、WordPressで新しいサイトを立ち上げることにした次第です。

 

 新しいブログでは、より柔軟なデザインやレイアウトを試しながら、読んでくださる方が楽しめるような工夫をしていく予定です。
 

 内容はこれまで通り、身近な発見や気になるニュース、新商品紹介などを中心に更新していきます。
引っ越し先でも、変わらず温かく見守っていただけるとうれしいです。

 

🌿新しいブログはこちら

tsuratsura-omoi.com

 

 

 読んでくださる皆さまのおかげで、ここまで書き続けてこられました。
本当にありがとうございます。これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。

新聞記事から考える 21:不正とその原因対策

 佐賀県警で発覚したDNA鑑定の不正を受け、特別監査が始まるという。

 

 

 

 「特別監査」と聞くと、いかにも重々しい響きである。刑事ドラマなら、上層部が「君たち、ちょっと署に戻ってくれるかな」と静かに言う場面だ。だが現実の監査とは、ざっくり言えば「ちゃんとやってる?」を確認する作業である。つまり、組織の健康診断のようなものだ。血圧やコレステロールの数値に問題がないかをチェックするように、組織もまた不正という“生活習慣病”を早期発見する必要がある。

 

 今回の不正の内容を聞くと、つい「DNA鑑定そのものに欠陥があったのか」と思いがちである。しかし、そうではない。問題は“人間”であった。職員が本来使用すべきサンプルとは異なる検体を使ったり、鑑定を行っていないのに「鑑定済み」と報告したりしていたという。これはよろしくない。

 

 人が不正に手を染めるとき、そこにはだいたい三つの要素があるという。動機・機会・正当化である。

 動機とは、個人的な理由だ。「失敗を隠したい」「怒られたくない」「借金がある」など、非常に人間らしい感情である。

 次に機会。これは「バレにくい環境がある」という状況のことだ。自分しか分からない作業、自分しか扱えないデータ、そういう構造が不正を誘う。

 そして最後が正当化。「これをやれば納期が守られる」「上司も黙認している」「皆が助かる」という、自分を納得させるための言い訳である。まるで夜中のラーメンを「明日からダイエットするから大丈夫」と言い訳するのと同じである(ちょっと違うか?)。

 

 

 

 今回の件が起きた佐賀県警の科捜研は、異動が少なく、長年同じメンバーで運営されていたという。外部の目が届かない環境では、次第に“独自ルール”が生まれやすい。最初は小さな例外対応だったものが、「これぐらいならいいか」が積み重なって慣習化していく。やがてそれは、不正という名のぬるま湯に変わる。誰も悪気はなくても、気づけば温泉ではなく泥沼に浸かっていた、というわけだ。

 

 不正の怖さは、その被害が目に見えにくいところにある。今回のようにDNA鑑定に関わる問題では、無実の人が疑われたり、逆に真犯人を取り逃がしたりする可能性がある。科学の信頼性は「100%正しい」は難しいが、「100%正しいを目指す」という意識を持ち続けることは可能であり、またそうでなければならない。もし1%の虚偽があると、全体の信用を地の底に落とす。

 

 しかし、ここで大切なのは「人間は完璧ではない」という事実である。誰だって失敗もするし、誘惑にも負ける。だからこそ、仕組みとして不正を防ぐ環境づくりが必要なのだ。監査は、そのための“自己反省の鏡”である。鏡に映ったシミを隠すのではなく、「おっと、ここ汚れてたな」と気づくことこそ大事である。

 

 今回の特別監査は、佐賀県警にとって痛みを伴うものになるだろう。しかし、その痛みは必要な手術のようなものである。信頼という臓器を守るためのオペである。人のDNAは変えられないが、組織のDNA――つまり文化や体質は変えることができる。今回の出来事が、その第一歩になってほしいものである。

 

 

 

参考情報

2025/10/09  日本経済新聞

「DNA鑑定、揺らぐ信頼 不正巡り 佐賀県警に特別監察」

 

2025/09/09 読売新聞 

「DNA型鑑定で不正130件、過去の試料で偽装も…佐賀県警科捜研の職員を証拠隠滅などの疑いで書類送検

新聞記事から考える 20:データサイエンスと大学授業の未来

 大学で学んだデータサイエンスが、身についた実感が少ないという声が多いようだ。

 

 

 

 確かに、統計学機械学習の式を覚えたところで、急にAIが作れるようになるわけでもない。ノートに数式を書き写しても、エクセルの関数とにらめっこしても、「自分はデータサイエンティストだ!」と胸を張れる瞬間はなかなか訪れないのである。

 

 なぜか。理由は単純で、大学の授業がどうしても“受け身型”になってしまうからだ。テストで点を取るため、あるいは単位を取るために勉強する。目的は理解ではなく「合格」になってしまう。自分も学生時代はまさにそうだった。「p値がどうとか、正規分布がどうとか言われても、正直ピンと来ない。とにかくテストで点が取れればいいや。」──そんな経験、あるだろう。

 

 本来であれば、学問とは「何に使うか」という目的と結びついて初めて力を発揮する。データサイエンスなら、「ラーメンの売り上げを予測したい」とか「興味のある情報が自動で出てくるようなシステムを作りたい」といった“自分ごと化”が必要なのだ。ところが現実は、「標準偏差とは…」の世界で止まってしまう。そりゃあ、身についた実感も薄いわけである。

 

 記事では「教員の指導不足」に焦点が当てられていたが、根本的には教育システムの構造的問題だと思う。授業が一方通行だから、学生は情報を受け取るばかり。これを「座学2.0」に進化させる必要がある。たとえば、授業内容が学生の選択によって変化する“マルチエンディング講義”はどうだろうか。恋愛に興味があれば、それを具体例とした回帰分析の授業になったり、マーケティングが好きなら、それにあったクラスタ分析の題材が出てくる――そんな授業なら眠気も吹き飛ぶ。

 

 AIを使えば、そうしたカスタマイズ授業は十分に可能である。学生が興味を示すテーマをAIが自動で提案し、理解度に応じて内容を調整する。もはや“受け身の学び”ではなく、“自分専用の冒険”である。まずは、授業の進め方ではなく、授業の中身そのものにデータサイエンスによるメスを入れるべきなのかもしれない。

 

 

 

参考情報

2025/10/01  日本経済新聞「大学のデータサイエンス、「身に付いた」半数どまり 指導者不足、文系で低く 文科省調べ」

 

新聞記事から考える 19:任天堂の子会社設立

 任天堂シンガポールに子会社を設立したらしい。スイッチ2が爆売れ中で勢いづく任天堂、ついに南国の地にまで旗を立てたというわけである。これからは東南アジア市場の攻略に本腰を入れるとのことだ。

 

 

 

 しかし、よく考えたら意外である。あの任天堂が、これまで東南アジアに拠点を持っていなかったとは。世界中でマリオが走り回り、ピカチュウが「ピカッ」と鳴きまくっているのだから、てっきりどこにでも任天堂のオフィスがあると思っていた。もしかすると、今までは「オンラインで全部売れるから現地オフィスなんていらんやろ」という、発想だったのかもしれない。

 

 だが、今回の子会社設立にはきっと深い理由がある。単なる「現地法人ブーム(?)に乗った」わけではない。たぶん、現地のプレイヤーたちの“リアルな声”を聞くためだろう。「マリオがバク転するときにもうちょっとスパイシーな演出を」とか、「ピーチ姫をもっとトロピカルに」とか、文化に根ざしたニーズをつかむことが、今後の世界戦略のカギになるのだ。


 とはいえ、気になるのはやはりお金の話である。海外拠点って、作るのも維持するのもお金がかかる。京都の本社から「これ、ほんまにペイするんか?」という声が飛び交ったに違いない。だが、任天堂はきっと損得計算を徹底的にやった上でGOサインを出しているはずである。Switchを超える新ハードの売上予測や、東南アジア市場の成長率、現地人のマリオカート熱まで、細かくシミュレーションしていそうだ。

 

 結局のところ、「現地の空気を知る」ことが何より大事なのだろう。屋台のにおい、通りの喧騒、子どもたちが放課後に何をしているか——そういう“データに出ない情報”が、次のゲーム開発のヒントになる。そう考えると、任天堂シンガポール進出は、単なる経営戦略ではなく、“リアルとバーチャルの融合”なのかもしれない。

 

 やはり、拠点って大事である。世界の遊びを作るには、まず世界の空気を吸うことから始まるのだ。

 

 

 

参考情報

2025/09/30 13:42  日経速報ニュース 「任天堂シンガポールに子会社設立 東南アジアで初」

新聞記事から考える 18:AIによる雇用の未来

 アメリカに関することだが、AIの普及により与えうる経済への影響を真剣件に議論しているらしい。

 

 

 

 AIによって仕事が回る――これは便利である反面、人間の立場を危うくする。メールの返信も資料の要約も、AIが秒速でこなしてしまう。かつて「残業を減らそう」と声を上げていた人々は、今や「AIに仕事を奪われるかもしれない…」と震えているかもしれない。便利さとは時に冷酷である。

 

 この話はまるでゲームソフトの『デトロイト ビカム ヒューマン』のようだ。違うのは、あちらはロボットが仕事を奪い、こちらはソフトウェアがパソコンの中で静かに奪っていく点である。
 見た目こそ違えど、やっていることは似ている。唯一の救いは、現実のAIが「コーヒーをこぼしてブレーカーを落とす」ようなドジをまだしないことくらいだ。

 

 だが裏を返せば、AIをうまく使いこなす者は、一人で何でもできる時代に突入したとも言える。ホリエモンがとある広告動画で「一人ユニコーンができる」、つまり、かつて企業チームがやっていた仕事を一人で完結できるようになる、と言っていたが、それが現実味を帯びてきた。

 

 AIが仕事をすることによる富がどんどん生まれていくが、その行きつく先はどうなるのだろうか?私はベーシックインカムが実現できるのではないか、と予想している。AIが自動で稼ぎ、国民にお金が配られる。好きなことをやって生きていける時代の到来だ。そんな夢のような世界が実現してほしい。

 

 

 

参考情報

2025/10/04  日本経済新聞「AIが変える成長と雇用」

 

新聞記事から考える 17:インドのAI活用と雇用削減

 インドでAIによる人員削減が進んでいるらしい。
あの、人口14億のポテンシャル国家、経済成長のエンジン全開といわれているインドがである。

 

 

 

 記事によると、最初の営業対応をするのはAIエージェントだという。問い合わせを受けてから、ではない、「最初の営業電話」を行うのがAIエージェントなのである。そんなことができるのか!? つまり、あの「ナマステ!」をAIエージェントが言うのである。
 いや、そんなこと本当にできるのか?と思うが、どうやらもう実用段階らしい。AIの多言語対応力には舌を巻く。もはや人間より口がうまい(と思うことすらある)。しかも休憩もいらず、給料も上がらない。人類の強敵である。

 

 一方、日本では「AIを活用した業務効率化」などと宣伝する企業は多いが、実際のところAIが人を置き換えるほどではない。まだ“期待者募集”の段階である。だがインドのスピード感を見ると、数年後にはAIの浸透を背景とした早期退職が始まっても不思議ではない。

 

 よく言われる「AIを使える人、作れる人が生き残る」という話も、だんだん現実味を帯びてきた。これってPCが登場した頃も同じだったのだろうか?当時も「パソコンなんて若者のおもちゃだ」と言っていた人が、気づけばExcelの波に飲まれていた…みたいな。

 とはいえ、PCが苦手でも今も仕事はある。AIも同じで、全員がリストラされるなんてことはないだろう。結局は「AIを使う側に立つ」か、「AIに使われる側に立つ」かの違いである。

 

 つまり、AI時代を生き抜く鍵は“リスキリング”である。英語で言うと格好いいが、要するに「学び直せ」ということだ。AIが仕事を奪うのではなく、AIに仕事を奪われない人間になれるかどうか。当たり前かもしれないが、継続的な学習が自分を助けることになりそうである。

 

 

 

参考情報

2025/10/05  日本経済新聞 「インド、AIで人員削減の波 中間層の雇用・消費に打撃 ソフト開発も効率化(NIKKEIAsia)」

 

新聞記事から考える 16:真珠づくりとAI

 愛媛の真珠の品質をAIで判断させようとがんばっているらしい。

 

 

 

 愛媛といえばみかん、そして真珠である。海もきれいで、山も豊か。そんな自然に囲まれた地で、テクノロジーが貝殻の中をのぞきこむ時代が来たというわけだ。

 

 これまでは「職人の目がすべて」といわれる世界であった。わずかな光の反射、見る角度、触れた感触――そのすべてを頼りに、長年の勘と経験で真珠の価値を見極めてきた。しかし、職人たちも年を重ねており、後継者不足は深刻である。

 

 そんな中で登場したのがAIである。AIは文句も言わず、寝ず、そしておやつもいらない。画像から真珠の「真珠層の厚さ」や「光沢」を解析し、人間が数十年かけて習得してきた技を数秒で模倣するというのだから、まさに人工知能の真骨頂である。しかもAIには「今日は調子が悪い」といった気分の波もない。これは職人泣かせである。

 

 ただし、AIにも課題はある。光の反射角度が違えば「この真珠は少し曇っています」とAIが誤診する可能性もある。人間なら「今日は夕方の光だからちょっと違うんだよ」と補正してくれるが、AIはまだ「夕日補正モード」を搭載していない。とはいえ、改善を重ねれば、やがてAIが職人と共に並び立ち、「今日の最高の真珠」を選び出す日も遠くないだろう。

 

 一方でこれは個人的な意見だが、AIが判断した真珠をありがたがるだろうか。職人さんが手間暇かけて確認して検査した真珠と、AIが機械的に判別した真珠、素直に判断すると前者の方が欲しいと思ってしまう。でも後継者不足という現実を考えると、AIにシフトしないといけないのだろう。

 

 真珠という自然の産物と、AIという人工の知恵。この組み合わせは、対照的である。もしかすると未来の真珠には、「AI鑑定済み」というタグがつく時代がくるかもしれない。愛媛の海に光る真珠たちも、まさか自分たちがAIに見つめられるとは思ってもいなかっただろう。

 

 

 

参考情報

2025/09/26  日本経済新聞:「真珠の良しあし、AI判定 愛媛県、民間と装置開発へ 省力化と基準明確化 ブランド価値向上めざす(四国往来)」