佐賀県警で発覚したDNA鑑定の不正を受け、特別監査が始まるという。
「特別監査」と聞くと、いかにも重々しい響きである。刑事ドラマなら、上層部が「君たち、ちょっと署に戻ってくれるかな」と静かに言う場面だ。だが現実の監査とは、ざっくり言えば「ちゃんとやってる?」を確認する作業である。つまり、組織の健康診断のようなものだ。血圧やコレステロールの数値に問題がないかをチェックするように、組織もまた不正という“生活習慣病”を早期発見する必要がある。
今回の不正の内容を聞くと、つい「DNA鑑定そのものに欠陥があったのか」と思いがちである。しかし、そうではない。問題は“人間”であった。職員が本来使用すべきサンプルとは異なる検体を使ったり、鑑定を行っていないのに「鑑定済み」と報告したりしていたという。これはよろしくない。
人が不正に手を染めるとき、そこにはだいたい三つの要素があるという。動機・機会・正当化である。
動機とは、個人的な理由だ。「失敗を隠したい」「怒られたくない」「借金がある」など、非常に人間らしい感情である。
次に機会。これは「バレにくい環境がある」という状況のことだ。自分しか分からない作業、自分しか扱えないデータ、そういう構造が不正を誘う。
そして最後が正当化。「これをやれば納期が守られる」「上司も黙認している」「皆が助かる」という、自分を納得させるための言い訳である。まるで夜中のラーメンを「明日からダイエットするから大丈夫」と言い訳するのと同じである(ちょっと違うか?)。
今回の件が起きた佐賀県警の科捜研は、異動が少なく、長年同じメンバーで運営されていたという。外部の目が届かない環境では、次第に“独自ルール”が生まれやすい。最初は小さな例外対応だったものが、「これぐらいならいいか」が積み重なって慣習化していく。やがてそれは、不正という名のぬるま湯に変わる。誰も悪気はなくても、気づけば温泉ではなく泥沼に浸かっていた、というわけだ。
不正の怖さは、その被害が目に見えにくいところにある。今回のようにDNA鑑定に関わる問題では、無実の人が疑われたり、逆に真犯人を取り逃がしたりする可能性がある。科学の信頼性は「100%正しい」は難しいが、「100%正しいを目指す」という意識を持ち続けることは可能であり、またそうでなければならない。もし1%の虚偽があると、全体の信用を地の底に落とす。
しかし、ここで大切なのは「人間は完璧ではない」という事実である。誰だって失敗もするし、誘惑にも負ける。だからこそ、仕組みとして不正を防ぐ環境づくりが必要なのだ。監査は、そのための“自己反省の鏡”である。鏡に映ったシミを隠すのではなく、「おっと、ここ汚れてたな」と気づくことこそ大事である。
今回の特別監査は、佐賀県警にとって痛みを伴うものになるだろう。しかし、その痛みは必要な手術のようなものである。信頼という臓器を守るためのオペである。人のDNAは変えられないが、組織のDNA――つまり文化や体質は変えることができる。今回の出来事が、その第一歩になってほしいものである。
参考情報
2025/10/09 日本経済新聞
「DNA鑑定、揺らぐ信頼 不正巡り 佐賀県警に特別監察」
2025/09/09 読売新聞
「DNA型鑑定で不正130件、過去の試料で偽装も…佐賀県警科捜研の職員を証拠隠滅などの疑いで書類送検」